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リスボンに誘われて

生涯のうち、何度自分自身へ反乱出来るだろう?

もし、今ある状況そのものが自分を押し殺していると、薄々ながら気付いていたとしても、その状況から抜け出す行為(今ある場所から逃げる)、また、反乱を試みることは、きっと誰にとっても、困難であり、大きな勇気が必要なのだと思います。

なぜならば、今ある責任、安心を放棄する行為は、危険に晒され、人からの嘲笑を受け、それにともなう孤独という重圧は、容赦なく押し寄せてくるばすだと予測してしまうからかもしれません。

主人公のグレゴリウスは、あるきっかけにより、自分の生きた人生、そのもの全てを置き去りにして、突然(先生でありながら授業中に抜け出す)旅へと赴きます。

それは、まるで自分の為に書かれたかと思えるような、本との出会いがあったからです。

 

その事件は、隠された恋のように静かに忍び寄り、平凡であるけれど、信頼された不自由のない人生に終わりを告げ、保身的なグレゴリウスを、大胆な行動へと導きました。

 

そして、グレゴリウスは、その本を書いた人物に会うために他国へ赴き、その人物を取り巻く人々に出会い、その人達の歩んできた歴史を知り、なぜ自分は、いまさら、その様な思想に駆られているのか?
また、なぜそのように生を生きれなかったのか?と、貪欲に彼らの過去を追求していきます。

 

熱き想いや、たくさんの知識が、頭の中に存在したとしても、ただ閉じ込めてしまったままでは、知恵と呼べないばかりか、その知識自体が、時に自分自身を苦しめるものへとなりかねません。

 

グレゴリウスは、期待されないように、また、悲しまないように人と接してきたように生きてきた様にみえましたが、その心に眠らせていた強き想いに、火が灯ることで、自分自身に反乱を起こし、積極的に他人と繋がりはじめます。

 

ですが、その転機のきっかけとなるものは、決して劇的なものではありえない。と、この映画では語られていました。

 

映画『リスボンに誘われて』予告編 - YouTube

 

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骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く

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の文中で、強く勧めていた映画だったので、そんなに?と思い観賞しましたが、とても胸打つ映画で、原作のほうも読んでみたいと思いました。