イエスとその弟子
ピーター・ミルワード先生。
の著書。
キリスト教の理解が深まると
他国の理解も深まる。
日本人である自分には
キリスト教にそれほど縁があるわけではない。
教えよりも、ファションの方が身近だ。
信仰心が無いなんて、日本人は野蛮だ!と思われているということも、よく聞きますし、言われてますが、、
キリスト教に触れることによって
なるほど…
確かにそう思われてもしかたないかな。
と思う反面。
無いわりに、律儀な人が多いということに驚きます。
あと、どうしても気になるのは
海外ドラマで、なぜそこまで?というほど
借り(恩)にこだわるのか?という思いはありました。
どんな悪党であろうと、恩を無視することは無く、『借り』というものは、絶対的な力を持っています。(自己申告が当たり前のように感じる)
これは、ユダの忘恩が根付いているのだろうと思いました。
誰もが、ユダの運命は嫌だという表れですね。
あと、悔悛。
これも罪を告白するという
本当の意味が分かっていなかったと感じました。
そもそも自分がスッキリするためのものでなく 笑
「主にかえれ」という、
そのことを忘れてはいけません。
罪や苦しみは、悪いことではなく
大切なのは、その痛みに気付くこと。
または、与えた者に、気付かせる。
その優しさ、気付きが、天国の扉を開く鍵となる。
まだまだ、よく分からないない事も、沢山あり、
特に気になるのは、詩篇22冒頭から始まる、
イエスの死、間際の言葉。
「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てられたのか?」
から
「私は渇く」
そして
「すべてはなしとげられた」
最後に
「父よ、私の霊をみ手にゆだねます。」
というところ。
ここはもっと知りたいと感じました。
そして、あとがきにもあるように
「言葉だけでなく精神を忘れてはいけない。」
それは、聖書だけのことではなく
日常の会話でも、とても大切なことだと思いました。
にしても、罰当たりな言葉かもしれませんが、
聖書、面白い!
それでいて、素敵です。
で、やっぱり、映画「サイレンス」は凄い。
まだまだ自分は、全然わかっていないと
畏怖の念を感じました。