沈黙

踏み絵。

誰しも聞いた事のある言葉。

自分も含め、きっとほとんどの人は

踏まない時に、訪れる拷問や処刑を思えば

踏まない事への疑問の方が、大きいのでは

ないだろうか?

 

沈黙を読んでいると

ポルトガルから訪れた司祭と

日本人のキリシタンでは

信仰の違いが分かる。

 

身体も心も、ギリギリまでこき使われている

生き方をしている百姓にとって

天国という響きは、大きな救いとなる。

踏み絵を、踏んでしまえば…

その天国に行けないとすれば…

生きていても地獄。

死んでしまった後も地獄。となれば、

彼らの苦悩は、とんでもなく大きいものだったはずだ。

 

主人公のロドリゴは、キリシタンへの弾圧を

目の当たりにし、

神が、沈黙をし続け、彼らを救わない事に、大きな苦悩を抱える。

 

死というものは、ただ、ただ、安息の地だというものではない。

信仰することによって、苦しむのであってはならない。

 

捕らわれた後も、それは繰り返し続き、

そのうちに、沈黙を破らないのは、

神なのか?

それとも

自分自身なのか?

という痛みへと導かれる。

 

ロドリゴを売った、終始現れる

ユダ的存在の、キチジロー。

最後の懺悔は、ユダと同様、彼の望んだ許しではなく、言葉の範疇を超えたものだった。

 

赦し。

 

それは、生き方そのものから語られるものであり

苦しみと、痛みの中からでしか、

知る由もなかったもの。

 

自分には、それが、それこそが、

あらゆる信仰というものの

素晴らしさではないだろうかと感じれました。

 

 

沈黙 (新潮文庫)

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